6/2:三位一体後第一主日「きよい者となるべき理由」ペトロの手紙一1:10~21
眞柄光久牧師
応答讃美歌:521番「キリストには替えられません」
・旧約の列王記上を5月31日の金曜日に終えて、6月に入り、新約の「ペトロの手紙 一」に入って来たのですが、列王記上の中では、神から呼びかけられる預言者の役割の重さをあらためて感じさせられました。
・神からのみことばを命がけで、王、民に伝えるのですから、その重みたるや、尋常のものではありません。
・今、神から、「あなたがたは、私を捨て、私に従わないので、この国を滅ぼす。そうならないために悔い改めて、私に立ち返れ」と、人々に告げなさいと言われたら、すぐ町に出て、人々に伝えられるだろうかと自問します。
・果たしてどうでしょう。できるでしょうか。プレッシャーに押しつぶされてしまいそうです。それを旧約の預言者たちはしたのですから、すごいことだと思います。
・それに対して、ペトロの手紙は、一、二とあるのですが、感動するのは、ペトロは一度も、私はイエスと生活を共にし、イエスのことは私が一番知っているなどとの自慢めいた話は、一切言ってないのです。
・もちろん、イエスと共に、行動、生活をしたと言っても、どのくらいイエスのことを知り得たかは疑問です。知り尽くせないのが神であり、メシアであるイエス・キリストですから。
・「イエスのことを知っている」などとは、ペトロであっても言えるはずもないのです。
・だから、私たちは、謙遜の心でもって、神の恵みとして与えられた聖書を読むことが一番大切になってくるのです。
・聖書にはイエスが語られたみ言葉が入っているのですから。
眞柄光久牧師
6/9:三位一体後第二主日「大牧者であるイエスに従う共同体」
ペトロの手紙一5:1~17
眞柄光久牧師