7/21:三位一体後第八主日「人ではなく神に認められる」
列王記下14:1~16 眞柄光久牧師
応答讃美歌:301番「いかなる恵みぞ」
・再びユダの王に目が向けられます。1節はユダの王ヨアシュの子アマツヤが王に即位したことを語ります。アマツヤの父ヨアシュは彼の家来によって殺されています。
・3節では、アマツヤは「主の目にかなうこと」を行ったと記されていますが、高き所、すなわち、バアル神をユダから完全には排除しておりません。
・彼はダビデが行ったようにしたのではなく、父ヨアシュのようにしたと書いてあり、父ヨアシュも高きところをそのままにして置き、排除することはなかったのです。父に倣ったのです。
・父を家来に殺されたアマツヤは復讐をします。彼らを殺します。しかし、律法にのっとって、彼らの子どもたちまでは殺すことはありませんでした。そういう意味では神のめがねにかなった王といっていいでしょう。
・アマツヤはエドムを攻撃し、勝利します。このことによって、増長し、思い上がり高慢になったアマツヤは軍事力で上回っていたイスラエルに戦いを挑みます。
・イスラエルの王ヨアシュはユダには勝ち目がないから、自ら倒れるようなことをするなと警告するのですが、高慢になったアマツヤは聞き入れず、イスラエル侵攻します。その結果大敗し、ヨアシュによってエルサレムの城壁を崩され、人質も取られ、宝物も奪われます。
・アマツヤの取った行動は主の目に認められることであったのでしょうか。
・イエスが十字架で処刑される前に、ゲッセマネで祈り、「この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みでなく、みこころのままに」と、神にへりくだり、祈ったのとは対照的です。
眞柄光久 牧師
7/28:三位一体後第九主日「神の飢え渇き」
列王記下17:1~12 眞柄光久 牧師