地の果てから神を呼び求める

3/24:受難節第六主日宣教「地の果てから神を呼び求める」     

詩編61:1~9  眞柄光久牧師

 応答讃美歌:221番「血しおしたたる」

・王であるダビデが「地の果て」と言うのはどのようなところでしょうか。言葉通りに取って、幕屋のあるエルサレムから遠く離れた地にいるのかもしれませんし、たとえエルサレムにいたとしても、ダビデの心の状態が「地の果て」にいるようになっているのかもしれません。

・ダビデはいつもならば幕屋のあるエルサレムで神に祈り、礼拝しているはずですが、今は、息子アブサロムの反逆によってエルサレムを脱出し、見つからないように、エルサレムから遠く離れたところに隠れているのです。

・神から遠く離されたところで、ダビデはいつものような神への礼拝ができることを渇望しているのです。・神はダビデにとって「常に避け所」,「敵に対する力強い塔」なので、そのために神殿での礼拝を熱望しています。しかし、今はしようとしてもできません。神よ、礼拝のできない私の叫びを聞いてほしい。私の祈りに耳を傾けて欲しいと願うのです。

・8節の「王が神の前にあってとこしえの王座につく王」とはイエス・キリストのことです。王の王であるイエス・キリストはご自分の民に、神を賛美し、全き礼拝をささげられるよう恵みを与えてくださったのです。このことは、私たちにとっての最も大きな幸いです。私たちは礼拝を通して、高くそびえる岩山である神のふところで、まことの平安を味わうことができるのです。

眞柄光久牧師

3/31:復活祭主日宣教「主イエスの受難秘儀」     

マタイによる福音書26:47~56  福井正躬 協力牧師