9/17:三位一体後第十五主日宣教「死後に受けるさばき」
ヘブライ人への手紙9:23~28 眞柄 光久 牧師
応答讃美歌:623番「時は満ちて」
・いつもヘブル書を読むときに感じることだけど、これって脅迫文じゃないと思うのです。
・「イエスから離れたら、お前ら、みんな地獄に落ちるんだぞ、だから、離れるんじゃないぞ」とのお脅かしを濃厚に感じる。
・「人はみんな死ぬよ。」「そんなことは言われなくてもわかってるよ」と、みんな言います。
・しかし、「第二の死というものがあるってこと知ってる?」と尋ねると、「なに、それ」って、不審そうな顔で問い返されます。「第二の死ってのはね、死んだあとに、神様の前に立たされて、裁きを受け、この世でした事と次第によっては、「火の池」(黙20:14)に投げ込まれるかもしれないということ」と、説明すると、「なんだ馬鹿らしい、そんなこと信じているの」って、信じようともしてくれない。
・「そうなったって知らないよ、だから、わたしたち、そうならないように、日ごろ清く正しい生活をして、毎日曜には教会に来て、礼拝にあずかっているよ」と、言っても、だれも本当のこととしてくれない。
・クリスチャンって、しち面倒くさいと思っているのがありありとわかる表情をされる。
・この「しち面倒くさい」が「しち面倒くさくなくなる」と、本物のクリスチャンの誕生になります。
・そうなると礼拝に来るのが楽しみになり、神の前に立たされて裁かれても、「火の池」に投げ込まれることなく、命の書に名前が記されます。
眞柄 光久牧師
9/24:三位一体後第十六主日宣教「信仰によって勝利した人々」
ヘブライ人への手紙11:32~40 眞柄 光久 牧師