苦しみにあわれた主

9/3:三位一体後第十三主日宣教「苦しみにあわれた主」ヘブライ人への手紙2:10~18

眞柄光久牧師

 

・今日の個所にあるように、死の恐怖から解放されたらどんなにいいのになと思います。人は一生、死の恐怖から逃れることはできないようです。

・日本ではあまりないのですが、アメリカで暮らしていると、銃口を向けられることがあります。一瞬、「殺される」と思うと、体の自由が利かなくなります。一刻も早く逃げなければならないのに、逆に、自ら進んで銃口に向かって行くような感覚になるのです。恐怖感で体が固まってしまうからでしょう。

・また、もし、あなたが、末期のがんと宣告され、余命は3カ月と言われたとしたらどうしますか。「私はクリスチャンで主の復活を信じていますから、喜んで死につけます」と言える人は何人いるでしょうか。

・私は、いつ死んでもおかしくない年齢になってきましたから、その準備はいつもしているつもりでおります。

・でも、でも、あなたの余命は3カ月と宣告されたら、絶望して、死ぬのはいやだと思うと思います。死ぬのは怖いです。できたら、死にたくないです。

・「私を信じる者は、罪赦され、復活する」とイエス様は何度も言われていますが、はいそうですかと、すんなり受け入れることはなかなかできないと思います。それまで、じたばたするのではないでしょうか。

・人に、復活すると説いている牧師が、そんなんでよく説教できるなと言われそうです。情けないといわれても仕方ないです。それだからこそ、イエス様にすがりついているのです。聖書を繰り返し、繰り返し読むのも、その確信をさらに深くするためです。イエス様も血の汗をかかれました。

眞柄 光久 牧師

9/10:三位一体後第十四主日宣教「私たちのための約束と誓い」

ヘブライ人への手紙6:13~20  眞柄 光久 牧師