言行一致の生き方

8/20:三位一体後第十一主日宣教「言行一致の生き方」使徒言行録24:10~23

眞柄 光久 牧師

 

・ある姉妹に、長崎原爆資料館に親子で行ってきましたと言ったところ、映画「母と暮らせば」を見てくださいと言われました。そこに出てくる医者は私の親戚ですと言われ、そういえば、姉妹の出身地は長崎だったなと、自分の頭の鈍さをいまさらながら反省させられました。確かに、映画の終わりの方に、その方の名前がクレジットされていました。

・その映画を見たことがなかったので、すぐネットで見ました。

・日本の映画にしては珍しく教会や祈りのシーンの多い映画でした。でも、この映画の意図しているところがはっきりと伝わってこないのです。「神の赦し」と「愛」を描いたものかと思いましたが、どうもそうでもないらしい。反戦をいおうとしている意図はわかる、でも、切実に迫ってこない。

・原爆資料館にいた時もそうでした。原爆の理不尽さ、むごたらしさ、残酷さを、ソフト化してしまっている。なにを恐れ、なにに忖度しているのだろう。

・パウロは恐れない、忖度しない、イエスの福音に立って、直截に堂々と迫る。

・なぜだろう。それは彼の信仰と人生、望みと態度が一致しているからだと気がついた。パウロにはイエスがすべてなのだ。その他のものは塵芥なのだ。

・「母と暮らせば」は違う。何かへの恐れと忖度と、原爆を落とした者への激しい怒りもない。原爆は無差別殺戮以外のなにものでもない。

・柔和、謙遜、服従はイエスの弟子としての美徳だ。しかし、原爆は神をも殺した我々の罪をあぶりだす。それへの怒りがない。怒りがあって、苦しみ、迷い、救いを求め、悔い改め、赦しがあるのではないか。イエスの怒り、パウロの怒りとはそういうものではないか。   

眞柄 光久 牧師

8/27:三位一体後第十二主日宣教「暴風と神のみこころ」使徒言行録27:13~26

眞柄 光久 牧師