ねたむユダヤ人たち

7/23:三位一体後第七主日宣教「ねたむユダヤ人たち」 使徒言行録13:42~52

眞柄光久 牧師

・今日のところを読んでいると、人間ってぜんぜん変わらないものだなとか、このようなことはいつの時代にもあることなのだなと、妙に納得させられる個所です。

・今の世でも、ある人が注目をあびて、人気者になったりすると、必ずと言っていいほど、それをねたむ人がでてきます。そして、その人に関して、あることないこと、いろんなことを言って、その人を貶めようとします。本音は、俺の方が偉いのにとか、あいつより知識があるのにとか、人気者なるべきは俺の方なのに、みんなわかってないと思うのです。単に、高慢になっているだけなのですが、本人は気づこうともしません。自分を冷静に見つめることができないのです。

・クリスチャンの徳と言われるものは、謙遜さであり、寛容さであり、愛です。これらの中には人への妬みが入り込む余地はありませんし、高慢になることもありません。それらは、キリスト教の信仰にとって邪魔になるだけです。

・しかし、人は簡単には、悔い改めて、変わるということはしないし、今日の個所のように、地位の高い人や、有力者まで味方につけて、取り入り、それらの人の権威をかさに着て、人気者を貶めようとします。

・そうすることが、自分を貶めているということに気づかないのです。

・イエスは、そういう人たちから見れば、まったく正反対です。イエスの感動的なみ言葉の一つに、十字架の上から、自分を十字架につけた人たちをあわれみながら、『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかわからないのです』と、父なる神に彼らの赦しを請いました。真のクリスチャンでしかできないことです。

・ねたまず、高慢になることなく、謙遜・従順・寛容の人でありたいと切に願います。

眞柄光久 牧師

7/30:三位一体後第八主日宣教「フィリピの女性リディア」 使徒言行録16:11~18

眞柄光久 牧師