神だけが聖徒の望み

6/11:三位一体後第一主日宣教「神だけが聖徒の望み」   哀歌3:19~39

眞柄光久 牧師

・今回の宣教の題は「神だけが聖徒の望み」といたしましたが、それは、21節に「それゆえ、私は待ち望む」と述べられていたからです。

・実は、もう一つつけたい題があったのです。それは「苦しめることが神の愛ではない」という題です。これは、33節に「人の子らを辱め、苦しめるのは、御心ではないのだから」とあったからです。

・長い題になり、週報の欄に入りきらなかったので、前者を選びました。

・どうでしょう、どちらの題がいいでしょうか。私は後者の題の方がいいと思います。

・人は生きている間、多くの苦しみに合います。「なぜこのような苦しみを自分は受けなければならないのでしょうか」と、神を恨んだことも度々あったのではないでしょうか。

・「神は愛なり」と,言われているのに、なぜ、神は自分にこのような苦しみを味合わせられるのだ」と、怒りにかられたこともあったのではないでしょうか。

・「何か私が悪いことでもしたというの。日々誠実に生きているだけなのに。なんで、こんな目に合わなければならないの。」

・このような問いは繰り返しされます。慰めの言葉はなかなか見つかりません。ただただ、黙して、涙を流し、苦しむしかないのではと思わされます。

・エレミヤも同じ気持ちだったと思います。破壊され尽くしたエルサレムを見て、とめどなくあふれる涙を抑えることもできず、ただ茫然と立ち尽くしていることしかできなかったのではないでしょうか。

・しかし、彼は、そこにこそ希望を見いだすのです。21節で「そのことを心に思い返そう」と。思い返すことによって、苦難の中に、神への希望を見いだすのです。

眞柄光久 牧師

6/18:三位一体後第二主日宣教「キリストの証人の始まり」   使徒言行録1:1~11   

眞柄光久 牧師