奪われた者の悲しみ

6/4:三位一体主日宣教「奪われた者の悲しみ」 (哀歌 1:1~11)

眞柄光久 牧師

・マタイによる福音書の1章の小見出しは「イエス・キリストの系図」となっています。その系図の11節に「バビロンへ移住させられた頃」、12節に「バビロンへ移住させられた後」、17節に「ダビデからバビロンへの移住まで」、同じ節に「バビロン移住から」と、バビロン、バビロンとバビロンにしつこくこだわっていることをうかがい知ることができます。

・これほどまでに、バビロンにこだわるのは、ヘブル民族にとってバビロン捕囚はよほど屈辱的な出来事であったにちがいありません。

・それは、そうでしょう。神が約束して与えられた地から、ごっそり根こそぎ、神の地でない異邦の地に移住させられたのですから、しかも、人間の王によって。・「野菊の墓」という短編をご存じでしょうか。伊藤佐千夫が書いた小説で映画にもなりました。主人公を好きな民子と言う女性が、彼から無理やり離れさせられ、好きでもない人と結婚させられます。その悲しみのあまり、病気になり死んでしまうという100年あまり前に書かれたものです。

・バビロンに連れて行かれたユダヤ人の悲しみはこういうものではなかったかと推測します。

・神が約束された乳と蜜の流れる、愛するカナンの地から、無理やり剥ぎ取られるように、全く見ず知らずの野蛮なバビロニアというところに奴隷として連れて行かれてしまいます。

・哀歌の由来は、1、2、4章のそれぞれの始めに「ああ」と嘆きの声で始まる所からきています。ヘブル語では“エイカー”。「なんと!」と言う意味です。それを、日本語では「ああ!」と訳しました。

・「ああ!牧師は、また、なじみのないところを選んだものよ。サムエル記がやっと終わったと思ったら」との信徒の嘆きの声が聞こえないでもない。   

眞柄光久牧師

6/11:三位一体後第一主日宣教「神だけが聖徒の望み」   哀歌3:19~39

眞柄光久 牧師