神の主権を認める生活

4/30:復活後第三主日宣教「神の主権を認める生活」 (サムエル記下 12:16~31)

眞柄光久牧師

応答賛美 新生94「われらは主の民」

・先週の週報の「日々の聖書の学びの助けに」を今日のところまで読んできますと、ダビデはあまりにも多くの人々の血を流し続けてきたと思う。

・これでは神がダビデに神殿を造らせず、彼の子のソロモンに造らせるのは当たり前だと思った。

・先週は「ダビデの祈り」で終わりました。その後、ダビデは長年の敵であるペリシテ人を討って屈服させたとあります。ペリシテ人兵士たちのおびただしいい血が流れたに違いありません。もちろん自軍の兵士たちの血も流れたことでしょう。

・次はモアブ。ダビデは残忍な殺し方をしています。測り縄を使い、背の高い成人を皆殺しにして、今は抵抗せず、将来訓練次第で自軍の兵士に育て上げる目的で、背の低い子どもたちだけを残すことをしている。

・次はツォバ軍、それの援軍で来たアラム・ダマスコ軍も破り血を流している。

・『これらの勝利は主によって与えられた』と聖書は述べており、ダビデが他の民族のおびただしい血を流すことは、神も承知している。

・ダビデは神に従順に従っているだけで、神にもその責任の一端があるのではないかと考えるのは、無理からぬことではないかと思うのです。

・すべてをダビデの流した血のせいにして、ダビデが神殿を造ろうとしても、それを拒否される神の言われることに矛盾はないのだろうか。

・その後も殺戮はやまない。エドム人の血も流された。

・『ダビデは全イスラエルを統治し、これはすべての民のために公正と正義を行った』と聖書は述べている。流された血の多さに、ただただ、神はむごいことをされるものだと思い、主の平和はどこにあるのだろうかと疑問を持ったりする。

眞柄光久牧師

5/7:復活後第四主日宣教「一つになるための祈り」 (ヨハネ 17:1~11)  

福井正躬協力牧師