3/12:受難節第三主日礼拝「人が恐れるとき」 (サムエル記上 21:10~15)
眞柄光久牧師
応答賛美 新生221「血しおしたたる」
・人が最も恐れるのは「死」であろう。・ダビデはサウルを恐れるあまり、あろうことか、かつての敵ペリシテのガトの王アキシュのところに庇護を求めて逃げて行きます。
・日本でも、石田三成が加藤清正や福島正則に襲われそうになった時、敵である徳川家康に庇護を求めたという同じような話があります。
・人は恐怖にかられると、思わぬ行動にでるようです。
・ダビデはサウルに槍で突き殺されそうになった時には、神の守りがあって、なんとか難を逃れました。
・愛あふれる友人のヨナタンやサウルの娘でダビデの妻でもあるミルカにも助けられましたが、イスラエルの中にいるかぎり逃げきれないと思い込んだのでしょう、ダビデは、神の導きを求めることなく、国外に逃亡するのです。
・ペリシテのガトの王アキシュはダビデとの面識がなかったようで、家臣から言われるまで、逃げてきた男がダビデだとはわからなかったようです。
・しかし、ペリシテの武勇の象徴的な存在であったゴリアトを殺され、屈辱的な敗北を喫した家臣たちは、イスラエルで戦勝記念に歌われていた「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」を覚えていて、ダビデのことも忘れることはできなかったのか、王にその男が誰かを教えたのです。
・そのことがばれれば、殺されると思ったダビデは、捕らわれたとき、気がふれたように見せかけ、町の門の扉をかきむしったり、ひげによだれを垂らしたりして、ペリシテ人のから、からくも逃れるのです。
・それほど「恐れ」というものは、人に誤った判断をさせるものなのです。
眞柄光久牧師
3/19:受難節第四主日礼拝「美しい痕跡を残す人生」 (サムエル記上 25:1~3)
眞柄光久牧師