暗闇の中で祈りを紡ぐ

11.13: 宣教「暗闇の中で祈りを紡ぐ」(イザヤ 9:1)

城野俊行執事

応答賛美 新生270「思いを尽くして 主をたたえよ」

・私は長い間、光があるから闇がある、という考えではなく、闇があるから光があると考えて生きてきた人間でした。若いころに親鸞とイエスに出会い、「歎異抄」と「聖書」を読みながら、この人の世の苦しみの中を生きてきました。大学時代に、教養部の講義の中でカントの哲学講座をたまたま受講しました。貧乏学生だった私は、夜勤のバイトをしてそのまま講義に参加するという毎日を送っていました。ある日、出席をとるためにだけに、その哲学講座に参加していたときでした。老先生が、「カントは人間は自分で性格を変えることができるんですと、言いました。」という風な話を、眠たい私の脳みそに語りかけてきて、私は目が覚めました。

・私は、長い間、両親の離婚やそれに伴う自身の愛着の問題に悶々として生きてきていました。生後数か月で、父方の祖父母に預けられ、偏頗な考え方しか持つことができない愛情に飢えた人間として人格形成をせざるを得ませんでした。そして、カント哲学講座の老先生の言葉から、「そうか、人間は自分自身で、境遇や環境の中で形成された自らの人格を変えることができるのだ。」ということを学ぶことができました。後で噂を聞いたら、日本では有数のカント哲学の碩学がその先生で、のちに「カント全集」の編集者のひとりだ、とわかりました。

・カントの観念論と、親鸞の善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をやと、聖書の、人はみな草のごとく、その栄光は草の花のごとし、草は枯れ花は散る、しかし、主のことばは永遠に残るという、この3つの中から、私は結果的にか?必然的にか?イエス・キリストを選んだのだった。

城野俊行 執事

11/20:主日礼拝「ゴシェンの地に住みなさい」(創世記46:28~34)

眞柄光久牧師