神の働き人

07.17:  宣教「神の働き人」(Ⅱコリント6:1~13)

眞柄光久牧師
概要から

応答賛美 新生330「み使いの歌はひびけり」

 

・パウロの手紙を読むたびに、特にこのコリントの信徒への手紙第二では、彼の切迫感と、悲壮感にこころが突き刺されます。切迫感は明日にでも、キリストの再臨があるかもしれないということ。悲壮感は、今日の宣教のところで述べられているような福音宣教のために肉体的、精神的苦痛を甘んじて受けていること。

・この第二の手紙の11章23節から29節までには、パウロが味あわされた迫害のすさまじさが綴られています。鞭うたれ、石を投げつけられ、船に乗れば難破し、旅の途中

では強盗に襲われ、食べ物もなく、飢え、渇き、寒さに凍え、裸でいることもあったと綿々と述べられています。

・当時の鞭うちのすさまじさは、映画などで見ているので、おぞけだちます。

・それでも、パウロはそれらがキリストの勝利の行進に連なることだと確信して、「キリストの香り」も共に、神が漂わせてくださっているのだと感謝さえしているのです。

・「キリストの香り。」なんとかぐわしい香りであることか。それは「救われる者には命から命に至らせる香り」だとパウロは言います。それは、おそらく、全身をとろけさせるような香りに違いないと思うのです。

・月のない夜に、大牟田フレンドシップキリスト教会のライトアップされた十字架を見上げていると、風に乗って、ふっとイエス・キリストのかぐわしい香りがただよい、とろけるような気持になる時があるのです。

眞柄光久牧師 

7/24:主日礼拝「義の実」(Ⅱコリント9:10~15) 

眞柄光久牧師