むなしい信仰生活

04.24:  宣教「むなしい信仰生活」(マラキ書1:6~14)   

眞柄光久 牧師
概要から

応答賛美 新生332「川のように」

・マラキ書は旧約聖書最後の預言書です。マラキ書を最後に、イエスが顕現する新約聖書時代までの400年間を中間時代と呼び、その間、預言者は一人も現れません。

・「マラキ」を人名と見るべきか、あるいは「わたしの使い」(3:1)と見るべきかという論争があります。ユダヤ教の解説書タルグムは、マラキは「わたしの使い」を意味し、その使いはエズラであると仮定しました。しかし、最近の学者の多くは、マラキを人名と考えています。・執筆時期に関しては、ハガイ書とゼカリヤ書のように、捕囚期後、エルサレムに帰還したイスラエルの状況を背景としているので、BC516年の神殿再建とエズラとネヘミヤによる宗教改革の少し後からBC300年の間と推測されています。

・目的は王である神が、ご自分の民をさばくためでなく、回復させて祝福を注ぐために来られることを教えるために記されたとされています。

・イスラエルの祭司も民も心で神を蔑み、献げものを軽く考えて、汚れて問題あるものを、神に形式的に献げていました。

・だから、神は、彼らがむなしい献げものをこれ以上続けられないように、神殿の扉を閉じる者はいないのか(10節)と言われるほどになってしまったのです。

眞柄光久牧師

5/1:主日礼拝「父の約束を待ちなさい」(使徒1:3~11) 

福井正躬協力牧師