低い人に向かう

02.20:  宣教「低い人に向かう」(ルカ14:1~14)眞柄光久 牧師

概要から

応答賛美 新生521「キリストには替えられません」

・鏡を見ない限り自分のこと「じいさん」だと思ってないから、若い頃のように体は動くものと高をくくってる。それが大失敗のもと。

・先週の日曜日、牧師室を出たところの段差でつまずき、手にはガラスの花瓶を持っていたものだから、割れないようにとっさに体をひねったら、ぐきっと足をねんざした。たいしたことないだろうと思ってたら、どんどん腫れてきて、痛みもはんぱない。

・翌日医者に診てもらったら、折れてますねとあっさり告げられた。

・人生初体験の骨折。シーレで足を固定され、両手での松葉杖使用。運転できない。スーパー行けない。コンビニもだめ。ズボンぬげない。風呂入れない。トイレはなんとか可能。

・できていたことができなくなった。さて、どうするか。色々考える。ふっと、気がつく。ぜーんぶ自分一人でしようと考えていた。

・ところが、手伝いますよ、なにか必要でしたら言ってくださいと言う人が次々と現れてきた。そうだ、なんでも、一人でしようと思うからできないのだ。何人かの手を借りればできる。

・イエス様もそうだった。パン5切れ魚2匹。弟子たちの「手」で配られた。イエス様の頭の中には一人でという発想はない。

・一人だけでなされたのは十字架での贖いだけ。それは全人類を救うもの。イエス様お一人の業が全人類につながっていく。

・「お前の骨が折れたのは、みんながつながるためだよ」とだれかがささやく。みんなのやさしさ、思いやり、あたたかさ、愛でつながれる。つながれる先の大もとはぶどうの木。 眞柄光久牧師

 

2/27:主日礼拝「救われたなら」(ルカ17:1~19)

眞柄光久牧師