救われたなら

02.27:  宣教「救われたなら」(ルカ17:1~19)眞柄光久 牧師

概要から

応答賛美 新生104「雨を降り注ぎ」

・クリスチャンは、権力者や金持ちではなく、力がなく貧しい小さい者に配慮し、彼らがつまずかないように注意しなければなりません。また、イエスを信じていない人々や、信じて間もない人々が傷つかないように細心の注意を払うべきです。

・兄弟、つまりクリスチャンが罪を犯したら戒め、悔い改めたなら赦さなければなりません。赦さないクリスチャンによって、傷つき、信仰から離れてしまうことがないように注意しなさいということです。

・4節の「7回」は、7回だけという意味ではなく“ずっと”を意味します。

・また同じ節の「あなたに対して罪を犯し」はその罪が個人的なものであることを示しています。

・使徒たちは「信仰を増してください」と言います。この信仰は赦し続ける信仰を指します。人を赦せるように信仰を強めて欲しいと言っているのですが、イエスは「からし種ほどの信仰があれば」と答えられます。信仰が強くなることで赦せるようになるのではなく、ごく小さくとも真の信仰があれば赦せると言われているのです。

・しもべに関するたとえも、赦したことを誇るのではなく、なすべきことをしただけだと謙虚になるべきであると言われているのです。赦しは、神に赦された者が当然なすべきことだからです。

・イエスによって10人の規定の病に冒されたうちの1人だけが、イエスに感謝するために戻ってきました。これは彼の信仰から生じたものです。彼に告げられた救いは、罪の赦しによるたましいの救いにもつながったのです。 眞柄光久牧師 

 

3/6:主日礼拝「しもべの正しい態度」(ルカ19:11~27)

眞柄光久 牧師