10.24
宣教「断食と祈祷」(マタイ6:16~18) 概要から
応答賛美 新生430「 しずけき祈りの」
「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨ ハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イ エスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。」ルカ 11:1~2 その祈りが今日世界中の教会、クリスチャンホーム、ミッションスクール、諸集会など限りなく多くの人に祈られ用いられています。例えば、西南学院大学附属中学では新入生全員一人ひとり順番と期間 はまちまちだったと覚えますが校長先生の前で日本語と英語の暗唱を発表する真剣な表情は 微笑ましい姿でした。イエスは人に気づかれないように祈ることを教えられたのですが、弟子たちは時の経過の 中で人の関心を得ようとするようになり大事なことから逸れて行きました。また、自分の罪 の赦しを求める時は、先ず自分に過ちの負い目のある人を赦しなさい。そうすれば天の父は あなたがたの過ちをお許しになる。もし人の罪を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。「ペテロはイエスのところ来て「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた「あ なたに言っておく。七回どころか七の七の七十倍までも赦しなさい。」
福井正躬協力牧師
10/31主日礼拝宣教「2つの部類の人々」(マルコ2:1~12)眞柄光久 牧師