09.26
宣教「共同体の中で」(創世記49:29~33) 概要から
応答賛美 新生301「いかなる恵みぞ」
・病院で死を迎える人の率は2005年にはピークに達し82.5%だったのが、
最近は75%に減った。その分、施設でなくなる方々が増えたということです。病院で一人寂しく死ぬよりは、まだ、施設の人に囲まれて死ぬ方がましということなのだろうか。
・3,000年前のイスラエルでは、死ぬと、洞窟に掘られた墓所に、先祖の人たちと一緒に並べて置かれた。アブラハム、イサク、ヤコブは全員「先祖の列に加えられた」と創世記に述べられている。共同体の一員としての死を迎えた。アブラハムとイサクは「満ち足りて死」に、ヤコブは「寝床の上に足をそろえ、息を引き取った。」死んで、先祖の列に加えられることが、当時の人たちにとっては、幸福な死に方であったようだ。
・生も死も共同体の中にある。キリスト・イエスも、絶えず人を共同体の中へと招き続けておられた。なによりもまず、礼拝共同体としての教会。弟子たちも1人ではなく、12人。
・キリスト・イエスにおいての死も、人を1人にはさせない。1人にはさせないどころか、復活をして、永遠の命を持った者の共同体へと招かれる。生きているときも、死んだ後も、イエスは、人を決して1人だけにせず、孤立させない。それは神の属性でもある。
牧師 眞柄 光久
10/3主日礼拝宣教「福音のはじめ」(マルコ1:1~15)眞柄光久 牧師