あの山をください

09.19
 宣教「あの山をください」(ヨシュア記14:6~15) 概要から
応答賛美 新生605「吹き荒れるヨルダンの」

歳をとるということは、生きてきたという証であり、またこれからも生きるということです。歳をとると自分の体を維持するだけでも大変になります。維持するためには、食べ物を食べなければなりません。食べ物は黙っていても口には入りません。というわけで、車に乗ってスーパーまで買い物に出かけます。運転が大変です。事故を起こさないように、慎重に運転しているつもりでも、若いころと違い、反応が鈍く、後ろの車から警笛を鳴らされることがあります。スーパーに着いても、それほど食べたいものもない。何か変わったものでもと思うのだが、結局いつも同じものになってしまう。季節によってちがうのは果物、野菜ぐらいかな。秋だから、柿を買う。柿を手にしながら、あとなん回食べられるかなと、自分の老い先を考えてしまう。老人の買い物は寂しさをつのらせるのである。レジで、「レジ袋だいじょうぶですか」と聞かれ、また、忘れてきたことに自分の歳を思い知らされる。家に帰れば山ほどあるレジ袋をもう一枚追加することになるのだけど、しかたない。手には抱えきれない。家に帰れば、冷蔵庫に入れなければならない。入れる前に、ちょっと休んで、深いため息をつく。歳を取るということはこういうことなのだ。

牧師 眞柄光久

9/26主日礼拝宣教「共同体の中で」(創世記49:29~33)眞柄光久 牧師