和解のための労苦

09.05
 宣教「和解のための労苦」(フィレモン1:15~25) 概要から
応答賛美 新生463「こころの扉」

・フィレモンへの手紙を読みながら思うことは、人が人を赦すこと、また人が人から赦されることは、本当に難しいことだなと言うことです。

・ちょっとした言葉の行き違いから、40年近く口を利かなくなったという二人を知っています。一人は二年前に亡くなりました。その人が不治の病だと聞いた時に、相手の人に赦す気はないのと聞いたことがあります。答えは「絶対に赦さない」でした。絶対に赦されないまま、一人は旅立ち、一人は赦すことができないままの心をもってこの世にあります。

・パウロは言います、「一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。だから、わたしを仲間とみなしてくれるのでしたら、オネシモを私と思って迎え入れてください」と。パウロの赦しへの必死の叫びが言葉となって現れているところです。

・放蕩息子を迎え入れた父親のように、オネシモを受け入れるようにフィレモンに願ったところです。

・小さいころ数々の悪さをしたやんちゃ坊主の私のために、頭を下げ続けた母親のことが偲ばれます。

・オネシモにも母親はいたでしょう。でも、奴隷だから、母親から無理やり引き離され、売り飛ばされたのでしょう。母親の代わりに、パウロが頭を下げています。

牧師 眞柄 光久

 

9/12主日礼拝宣教「不安な社会で必要な選択」(士師記1:1~10)眞柄光久 牧師