祈りと断食

08.01

  宣教「祈りと断食」(マタイ6:16-18) 概要から
応答賛美 新生442「この世のつとめ いとせわしく」

人々が「主の御名により祈り始めた」時のことが創世記に記されていますが、アダムの子、カインとアベルが、神の前に各々祭壇を築き農夫カインは地の産物をささげ、羊飼いとなったアベルは羊の初子をささげました。神は、兄カインのささげ物は目に留められず弟アベルのささげ物に目を留められました。カインはこれにひどく怒り弟アベルを殺しました。神は、ささげ物の違いに目を留められたのではなく、ささげる謙遜な態度、へりくだった心に目を留めておられたのです。アダムは食べたら死ぬと言われた神のことばを軽く受け留めていたかもしれませんが、殺人と死を同時に心に刻みました。時が過ぎアダムとエバにアベルに代わる男の子が生まれ、セツと名づけられました。そのセツに男の子が生まれその子の名をエノシュと名づけた時から祈り始めたのは死につき目覚めた結果と思えます。旧約時代公的断食が命じられたのは、毎年元旦九日の夕方から十日夕方までイスラエル人と在留異国人を含め全員が身を戒め(断食)だけです。「贖罪の日」は神の憐れみの日ですが民には悔改めの日です。神は聖なる方であるから選民も浄めが求められました。新約時代は聖霊時代です。聖霊の助けで教会の成長が実現します。

協力牧師 福井正躬

8/8主日礼拝宣教「究極の健康法」(申命記34:7)眞柄光久 牧師