神ののろいとは

07.18
 宣教「神ののろいとは」(申命記28:15-24) 概要から
応答賛美 新生500「イエスがいなければ」

・私は、いたずらっ子だったので、「悪いことをすると、罰(ばち)が当たる」とよく親に脅かされました。

・今回、旧約の神の「のろい」のことを考えながら、「罰(ばち)」と「のろい」はどう違うのだろうかと考えました。

・「罰(ばち)」は「天罰」とも言われ、天からくるもの。「のろい」は神・仏からのものもありますが、人からのものもあります。

・たとえば、大宰府に流された菅原道真。彼はこのことをのろうほど、恨みに思っていたとのこと。都では、この人の「のろい」を恐れて、彼を神に奉つるほどだった。

・では、旧約の神はどうか。これでもか、これでもかというほど、イスラエルの民に、「のろい」をかけると脅します。理由は自分の命令や掟に従わないから。

・ここに神の愛をみます。この「のろい」の裏にある真意は、こんなに祝福しようと思っているのに、なぜ、私の言うことに従わないのかという神の切ないほどの愛があります。

・それは、子を想う親の愛と通じるものがあるのではないでしょうか。

・イスラエルの民を自分の子供のように愛するがゆえに、自分の一人子である愛するイエスをこの世に送られた。

・“ホー テーオス アガペー エスティン(神は愛なり)”。神学校のギリシャ語の授業で、最初に習うギリシャ語です。

牧師 眞柄光久

7/25主日礼拝宣教「不従順に伴う苦しみ」(申命記28:25-35)眞柄光久 牧師