04.18 宣教「選びと力」(出エジプト記6:14~30)概要から
応答賛美 新生538「神はわがやぐら」
・私は旧約を読んでいる時、いつもイエス様の目線を感じるのです。マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネの福音書ではないのですが、旧約の中にも、イエス様の存在が脈々と流れているのを感じるのです。
・当たり前といえば当たり前のことなのですが、どちらかというと旧約をにがてとする人が多いような気がします。特に、系図や民族の名前が出てくると敬遠しがちではないでしょうか。
・民数記やヨシュア記には延々と人々の名前が出てきます。読むのが苦痛でしかないと思われる箇所です。
・今回の箇所にもモーセとアロンの正当性を表すためにレビ族の系図が詳しく出てきます。中心はモーセとアロンです。モーセとアロンの系図をもって、彼らのなすべきことの根拠とし、また、それを命じられた方が全知全能の方であることの証拠としています。
・興味深いことに、この系図で初めて、モーセとアロンの父アムラムとその妻ヨケベドの名が記されています。しかし、この系図はそこで終わるのではなく、アロンの子エルアザルとその子ピハネスにまで及んでいます。そうすることで、レビ族の中でも会見の天幕と聖所の任務に当たる大祭司の系図の正当性について暗示するという役割もしています。
・このように系図から色々なことがわかってきます。系図を敬遠されずに、興味を持たれたらよい学びになると思います。
牧師 眞柄光久
4/25 主日礼拝宣教「わざわいの教訓」 (出エジプト記9:13-26)(眞柄牧師)