04.04 宣教「思い煩いを癒される復活の主」 (ルカ24:13-35)概要から
応答賛美 新生211「ナザレの村里」
バプテスマのヨハネは獄中からキリストのもとへ自分の弟子たちを遣わして「来たるべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」目の見えない人、足の不自由な人、重い皮膚病の人の癒し、死人の生き返り、貧しいひとに福音を告げる御業がヨハネにはあまりにも消極的に思えたのでしょう。」イスラエルの復興、世界制覇とはかけ離れたように感じたのでしょう。キリストを「神の小羊」と見抜いた霊力を授っていたヨハネでしたがキリストが世に来られた真の目的は悟れていませんでした。キリストが「わたしにつまずかない人は幸いである。」と言われましたがすべての人が躓き、思い煩いました。メシアである救い主が裁かれ、侮られ、十字架かけられて死に葬られた時弟子たちさえバラバラになりました。三日目に復活すると幾度も言われたみ言葉を誰も信じませんでした。復活初日、朝から夕方まで15名以上の弟子たちに現れ各々の思い煩いと躓きを、病を癒すように霊の目の遮りが開かれて新たなる希望に導かれました。今日のキリスト者もキリスト再臨に合わせ栄光の体とされる希望は同じです。
協力牧師 福井正躬
4/11 主日礼拝宣教「モーセのためのしるし」(出エジプト記4:1~9) 眞柄光久 牧師