二つの願い(キリスト教と生活)

03.14 宣教「二つの願い(キリスト教と生活)」 (箴言30:7-9、マルコ12:41-44) 概要から

応答賛美 新生300「罪ゆるされしこの身をば」

「二つの願い―キリスト教と生活―」 東京バプテスト神学校専攻科 2年 眞柄光久

・ コロナ危機の影響で仕事を雇止めになる人が増えています。その人たちの多くは非正規の労働者です。もともと安い賃金で働いていますから、預金もない。
即、生活に困るのです。へたをすると住む場所も失い、ネット難民になるか、最悪の場合ホームレスなってしまうかも知れないのです。聖書にその人たちがどう考えれば望みを持てるかを聞いてみたい。

・ そのため、二つの箇所を取り上げました。一つは箴言30章7~9節。2,300年ほど前に、シナイ半島の南マッサに生きていたアグルの二つの願い。「貧しくもせず、金持ちにもせず、定められたパンでわたしを養って下さい。」 現代の誰もが望み、しかし、叶えられない夢のような願い。

・ もう一つは、マルコ12章41~44節。やもめの献金の箇所。一人の貧しいいやもめがイエス様の見ている前で、生活費全額を献金したことが述べられている箇所。

・ これらの二つの箇所から、神に願うとはどういうことか、神に聞かれる願い、聞かれない願いの違い、願いが生きる希望になることなどをお話したい。

・ 私のおじさん仲間が話すことの定番は。1.病気、2.お金 3.孫自慢。なかでも白熱するのは老後の資金。聖書はどう解くか。

 

3/21 主日礼拝 宣教「『わたしはある』という方が」(出エジプト3:12-15) 金子敬牧師