02.21 宣教「試練を耐え忍ぶ人」 (ヤコブ1:12-15) 概要から
応答賛美 新生552 「わたしが悩むときも」
昔から「艱難汝を玉にす」との諺がありますが、聖書にも「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:3-5)とあります。これらは苦しみを積極的に受け止めることで、より高い次元の人間へと成長することを表しています。ヤコブ書は「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」(ヤコブ1:12)と記します。「試練(ペイラスモス)」は次の13,14節では「誘惑に遭う/される/受ける/する/陥る」と5回にわたり動詞形(ペイラゾー)で登場します。このように同じ言葉(ペイラスモス)が「試練」とも「誘惑」とも訳されるのです。前者は積極的なこと、後者は消極的なこととして受け止めて訳された言葉でしょう。でも本来それは一つの事象の表と裏であり、神との関係の中で受け止めるなら「試練」、自己実現(欲望)とのかかわりの中で受け止めるなら「誘惑」になるということを表しているのではないでしょうか。W.バークレーは「サタンが危害を加えるのは管理がゆきとどいていない心に対してである。欲望のとりこになるのは訓練されていない知性であり、煩悩の訴えに傷つきやすいのは義務を行わない心である。」と解き明かしています。 牧師 金子 敬
2/28 主日礼拝 宣教「大切な成長をさせてくださる神」 (Ⅰコリント3:1-9) 福井正躬 協力牧師