イエスがこころに

12/18:待降節第四主日礼拝「キリストが受肉された道」(マタイ:1:18~25)

眞柄光久牧師

 応答賛美 新生180「イエスがこころに」

・正直言って、牧師になっても、いまだに「聖霊によってみごもる」ということがどういうことかよくわからないし、みなさんにも説明できない。

・5年間も神学校へ行って、そんなこともわからないのと怒る人もいると思う。でも、わからないものは、わからないとしか言いようがない。

・2,800年前にイザヤという預言者が「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と預言しており、それが800年後に、イエスというベツレヘム生まれの人がメシアとしてユダヤに現れたことにより、イザヤの預言が成就されたではないかとマタイとルカは語っているのです。

・ところが、人間であるヨセフとマリアの間で生まれた子では具合がわるい。なぜなら、人間から生まれた者はどんなに清くても、罪を負っているから、メシアであることはできない。

・このところを、今の私たちが理性で考えたら、とてもじゃないが受け入れることはできないと悩みに悩むように、当時のユダヤ人たちも悩みに悩んだのです。

・ユダヤ民族というのは神に選ばれた民族です。神に選ばれた民族というのは、「神の方法」を知らされている民族です。

・神に選ばれていない日本民族は、「神の方法」なんてことはまったく知らないし、信じることもできない。

・「神の方法」を知っているユダヤ民族は、ここを「聖霊によって」としてしまったのです。「神の方法」でなされたわけですから、誰も文句は言えないし、疑問もはさめない。私たちにできることは、「はい、そうですか」と従順に受け入れることしかできない。なぜなら、私たちもクリスチャンだから。メリークリスマス!

眞柄光久牧師

 

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