主の御手の中で

08.30 宣教「主の御手の中で」(詩編139:1~10) 概要から

応答賛美 新生 507 「主の手に委ねて」

神の優越性を表す言葉に「全知全能」がありますが、このダビデの賛歌は「神の遍在性」でこれを裏打ちしています。神は、人の生まれる以前からの一挙手一投足を知り尽くされ、神の前に隠れることのできるものは何一つありません。「前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いてくださる。」(詩139:5)とあり、「どこに行けばあなたの霊から離れることができるでしょう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府(よみ)に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。」(同139:7-8)と告白します。これは“恵み”とも取れますし、“審き”とも解釈できる内容で、ダビデにとっても自分の罪の全てを知り尽くされるお方の前に身を委ねるほかないのです。本来「陰府」(シェオール)とは神不在を意味する畏怖すべき言葉です。しかし、「キリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」(Ⅰペトロ3:19)とあり、主イエスにおいてノアの洪水で滅ぼされた人々にまで届く救いの恵みの出来事と記されたのです。これが「神の遍在」の奥深さであり、神は「そこにもいまし・・・右の御手をもってわたしをとらえてくださる」(同139:10)のです。  牧師 金子 敬

09/06 主日礼拝 宣教「継承すべき福音」 (Ⅰコリント15:3-8) 金子 敬 牧師