幸いだ、その人々よ

08.16 宣教「幸いだ、その人々よ」(マタイ5:1-12)概要から

応答賛美 新生 137 「うみべの野で」

「幸いである」が9回も繰り返されるマタイ5:1-12は「至福の教え」として多くの読者を魅了します。クリスチャンになって数年間、私は毎年の賀状に添える聖言をこの個所から選びました。九つの「幸いである」(マカリオイ)は「幸いだ!」との祝福と歓喜の表出です。3節と10節では幸いの根拠が同じ「天の国はその人たちのものである」と現在形で記されています。正にこのイエスの教えを受けている人々の今が、「心の貧しい人々」であり「義のために迫害される人々」なのです。「心」はプネウマというギリシャ語で、一般には「霊」「聖霊」と訳されます。聖霊の満たしを渇望しつつも満たされない状態であり、義のために迫害されているとほぼ同義なのです。この3節と10節の間にある「悲しむ人々が慰められ」「柔和な人々が地を受け継ぎ」「義に飢え渇く人々が満たされ」「憐み深い人々が憐みを受け」「心清い人々が神を見」「平和を実現する人々が神の子と呼ばれる」はすべて未来形、即ち、約束として記されています。即ち今は何一つ叶えられていないのですが、これを約束として先取りし、ここに向かう、これこそ今、天の国にある私たちの信仰生活なのです。 牧師 金子 敬

08/23 主日礼拝 宣教「主の家に住む望み」 (ヨハネ14:1-4) 福井 正躬 協力牧師