問い返す神

07.19 宣教「問い返す神」(ヨブ記38:1-11)概要から

応答賛美 新生 552 「わたしが悩むときも」

何故この世には苦しみや悩みがあるのか。「神は愛なり」と言うが、この苦しみの中で神は何をしているのか?との苦悶が起こります。この問いは昔から「神義論」と称されて、古今東西、学者達の論争の的です。旧約聖書ヨブ記も「神義論」を取り扱う知恵文学の系列に属します。ヨブの名は「敵」を意味し、「神に敵対した者」を想起させます。義人として賞賛されるヨブに、「神に敵した者」とは大層乱暴なことですが、人が自らの義を主張すれば、それは一見正しいように思われても実は神の敵対者になるのです。ヨブの三人の友人たちのヨブに対する助言も自分の義を信じるヨブに通じません。結果、ヨブに罪ありと押し付け引き下がるばかりです。四人目のエリフの助言も結局同じです。不条理と思えることに理性で立ち向かうこと自体が解決とは程遠いのです。ついに主なる神ご自身が登場し、「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」(ヨブ38:2)と問い返し、天地創造の御業を掲げ、神の知恵に反論し得ないことを悟らせます。人間の理性で全てが理解できるのではありません。「何故」との問いをやめ、神の深い知恵に委ねることに希望の糸口を見出すのです。    牧師 金子 敬

7/26 主日礼拝 宣教「神の業が現れるため」 (ヨハネ9:1-12) 金子 敬 牧師