収穫の主に願う

06.28 宣教「収穫の主に願う」(マタイ9:35-38)概要から

応答賛美 新生 385 「すべての人に宣べ伝えよ」

私は1962年の秋、初めて出かけたキリスト教の集いでクリスチャンになる導きを頂き、次の主日から教会に通い始め、翌年のイースターに洗礼を受け教会員になりました。大学2年生の春でした。直ちに学内で「聖書研究会」を立ち上げ、友人たちに伝道しました。多くの友人が教会に来てくださるようになり、今もそのころの学友たちが中心になって「聖研OB会」として集まりが続いています。この時の同僚の中には現在、牧師をはじめ長老や執事など役員の奉仕を担う方々が多くおられます。学生時代の純粋な心に聖書の言葉が染み込んだのでした。大学卒業後、大牟田にある化学会社の研究室に勤務したときも、青葉町にあった独身寮での聖書研究会を主宰するなど、周囲からは将来牧師になりそうだとの期待を与えていたようです。しかし、伝道者の道は「なりたいからなれる」仕事ではありません。主の言葉は「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタイ9:37-38)です。主に願い求め、働き手として送り出していただかなければ成立しない主の御業なのです。  牧師 金子 敬

7/5 主日礼拝 宣教「遣わされる者の勤め」 (イザヤ6:8-10) 金子 敬 牧師