遣わされる者の勤め

07.05 宣教「遣わされる者の勤め」(イザヤ書6:8-10)概要から

応答賛美 新生 661 「聞け 主のみ声を」

罪の清め受けたイザヤは「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」との問いに「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ6:8)と応じます。若き預言者の誕生です。しかし彼に託された預言の内容は人々の心を逆なでするような言葉でした。即ち、「行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために。」(同6:9-10)です。神の救いの計画を分かりやすく語り伝えるのが仕事と心得ていたイザヤにとって、何と過酷な内容でしょうか。「理解するな」「悟るな」「心をかたくなにし・・・」と続き、「悔い改めていやされることのないために。」です。伝道者は神から託された言葉をのみ語ります。自分の思い込みで内容を変えてはならないのです。この言葉は四福音書のすべてと、使徒言行録、ローマ書にも引用される重要な言葉です。自分で理解できなくても語ること、この使命に応えるのが「遣わされた者の勤め」なのです。    牧師 金子 敬

7/12 主日礼拝 宣教「混沌に打ち勝つ光」 (創世記1:1-5) 金子 敬 牧師