イエス・キリストを思う心

9/29 宣教「イエス・キリストを思う心」(Ⅱテモテ2:8-13)概要から

応答賛美 新生604「主を仰ぎ見れば」

~イエス・キリストのことを思い起こしなさい。~

パウロが未だ若い同労者であるテモテに奨めた言葉です。テモテは既に良き働き人として同労者であり、期待に充分こたえる器であったと想像できますが、最も大切なイエス・キリストを忘れているかのようなことばです。普通の人なら「忘れて等いません。」と切り返すでしょう。でもそういう時、多くは殆どごく初歩のことも悟り得ていない現実があります。 「神はご自分にかたどって人を創造された。」(創1:27) 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」(コヘレト3:11) 真実の愛を貫きたいと思いながら怒り、互いに健やかで永遠の命を思いながら未完で生涯を閉じます。しかし、人生、老若男女いつも安心で過ごせればこれに越しとはないでしょう。「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。」(コロサイ2:3-4) つまり、パウロは今後多くの知恵、知識の必要を感じているであろうテモテに、「イエス・キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さに与りなさい」と語ったのでしょう。因みに「主の晩餐式」は「わたしを覚えよ」との主のご命令です。   協力牧師 福井正躬

10/6 礼拝宣教 宣教「刈り入れを待つ神」(ヨハネ4:31-39)  金子 敬 牧師