刈り入れを待つ神

10/6 宣教「刈り入れを待つ神」(ヨハネ4:31-39)概要から

応答賛美 新生380「罪の世に過ごす」

イエスの一行がガリラヤに急ぎ進まれる時、「サマリアを通らねばならなかった」(ヨハネ4:4)とあります。当時のユダヤ人は迂回して旅路を選ぶほどにサマリアとは犬猿の関係だったのです。そのサマリアのシカルにある井戸辺にイエスが休息し、弟子たちが昼食の調達でいなくなった時、一人のサマリアの女との出会いが起こります。二人の一対一の会話が続きます。イエスによる魂の触れ合いです。お疲れにもかかわらずイエスは心を尽くして彼女と向き合い傾聴し、福音の神髄を伝えます。そこに町から帰ってきた弟子たちが、女と話をしているイエスに驚きます。その弟子たちに対して「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく、目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」(同4:35)と語られたのです。実際の麦畑は青々としていて刈り入れ時ではありません。しかし、サマリアの女の魂は、「色づいて刈り入れを待って」いたのです。福音宣教に「適時」などありません。否、常に「適時」なのです。人々の魂の飢え渇きを知られるイエスの伝道への熱い想いは、空腹さえ忘れさせる最重要事項だったのです。  牧師 金子 敬

10/13 礼拝宣教 宣教「エリヤの祈り」(ヤコブ5:17-18)  堤 嘉宏 執事