神が示された真実

8/4 宣教「神が示された真実」(ローマ3:21-26)概要から

応答賛美 新生376「友よ聞け主のことば」

聖書には「義」と言う言葉が頻繁に登場します。これは正しい関係性を表す言葉で、これを神の側から表すなら「愛」となり、人間の側から表すなら「信仰」となります。人間は自らの行為で神の前に「義」とされません。それは不可能です。人間が神の前に義とされるのは、まず神がその義の道を現わされたことに始まります。即ち、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ローマ3:23-25)とある通りです。ここで示された神の義に人間が応えるのが信仰です。自分の信仰ではない、神の側にある真実に根拠を置くこと、これが「信仰義認」であり、信じることの内実なのです。昨年末に出版された「聖書」聖書協会共同訳ではこれを曖昧にすることなく、「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現された」(同3:22)と、信仰に先立つ神の真実(=愛)を明らかにしています。    金子 敬

8/11 礼拝宣教 宣教「平和を実現するために」 マタイ10:34-39  金子 敬  牧師