5.12 宣教「開かれた家庭」(マタイ12:46-50)概要から
応答賛美 新生584「主なる神よ み言葉にみたされ」
お隣さんとの上手な付き合い方はお互いに干渉し過ぎないところにあると言われています。確かに、他人の囲いの中(財産、思想)が気にかかり、垣根を乗り越えてその持ち物や文化に手を出せば争いとなります。けれども、お隣が困窮しているときに目を留めないならば、これこそ問題です。即ち、囲いの内も外も同じ神の御業の場であり、そこに住む人々を「お互いさま」と気づくこと、従って、家でも国家でも言えることでありますが、お隣さんが困っていたら、こちらから「これ、お使いになりませんか」と声をかけて分かち合う、開かれた関係づくりこそが鍵となるのではないでしょうか。主イエスは、「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」(マタイ12:49)と、他者に開かれていない血縁至上主義家族を批判され、また「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」(同12:50)と真の家のあり方を示されました。周囲の人々に開かれた家庭、困窮している人々に門戸を開く家族、そのようにして主イエスご自身を迎え入れる家庭形性が、今の時代に求められているのではないでしょうか。 牧師 金子 敬
5/19 礼拝宣教「最も大いなるもの」 聖書:Ⅰコリント12:31b-13:13 金子敬牧師