キリストに捕えられて

2/3 宣教「キリストに捕えられて」(フィリピ3:12-16) 概要から~

応答賛美 新生485「主よ われをばとらえたまえ」

「救われる」は動詞「救う(ソーゾー)」の受身形で、“病気治癒”に用いられる場合には過去形で表わされることもありますが、“魂の救い”を表わす場合には、イエスにおいてもパウロにおいても、未来形で表わすのが普通です。私たちはバプテスマを受けたクリスチャンだからもう既に「救われた」(過去形)と思いがちですが、今なお救いの途上にあると考えた方が良いようです。この救いの途上にあることをパウロは、「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」(フィリピ3:12)と表し、この理解に立って、「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(同13-14節)と勧めます。このことを受けとめ、「捕えられている中で追い求める」という謙虚で誠実な信仰の道を歩みたいものです。  金子敬牧師

2/10 礼拝宣教「キリストの内にある自由」 聖書:ヨハネ8:31-38  金子牧師