礼拝者として生きる

1/13 宣教「礼拝者として生きる」(ローマ12:1-2) 概要から~

応答賛美 新生618「主のためにわれは生く」

先週の主日礼拝で、「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。」(詩編100:1)との御言葉を頂きました。その根拠を預言者は「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:4)で表わします。この世にこれほどまでに人間に寄り添われるお方(創造・支配・救済の神)があるでしょうか。そのお方が肉となって現れたのが主イエスです。正しく「インマヌエル(神我らと共にいます)」となられたのです。教会とはこのお方のお招きに与り、共に御前に集う礼拝者の群です。ですから、使徒パウロは「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12:1b)と記します。「自分の体」とは自分自身の在るところ、即ち、生の全領域です。どこを割っても金太郎が出てくる「金太郎飴」のごとくに、私たちの生活のどこを切ってもイエス様が顔を出される、そのような歩みこそが「なすべき礼拝(ロギケーン ラトレイア=理にかなった礼拝)」だと言われるのです。このイエス様に喜びの叫びをあげる礼拝者でありたいものです。  金子 敬 牧師

1/20 礼拝宣教「豊漁への招き」 聖書:ルカ5:1-11  金子牧師