キリストの深い憐みから

~10/14宣教「キリストの深い憐みから」(マタイ9:35-39)概要から~

応答賛美 新生634「キリストの愛われに迫れり」

「イエスは町や村を残らず回って(中略)、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9:35-36)。この言葉にすべての人に対するキリストの憐みが読み取れます。当時の宗教家たちにとって、神の掟を守れない群衆(オクロス)は神の秩序をかき乱す(オクロー)者であり、「風に吹き飛ばされるもみ殻」(詩編1:4)のような存在、救いの対象外でした。しかし、主イエスは彼らを「もみ殻」としてではなく、神の倉に迎え入れられる尊い「収穫」(マタイ9:37)として受けとめていました。確かに、彼らの現実は「飼い主のない羊」であり、「打ちひしがれている(皮を剝がされ、ずたずたに切り裂かれた、の意)」状態です。何とかして彼らを回復したい、切り捨てるのではなく、救い出したい、と願うのです。「深く憐れむ」(スプランクニゾマイ)とは「内臓」(スプランクナ)の派生語で、「はらわたがちぎれる」ほどの苦痛を表します。「ああ、何ということか。彼らは神の倉に納められる豊かな収穫であるはずなのに!」と。このキリストの深い愛と憐みから教会の「伝道」は起こされているのです。  牧師 金子 敬

10/21 宣教「一人の人の救いのために」 聖書 使徒8:26-40  (牧師 金子敬)