~7/1宣教「誰を遣わすべきか」(イザヤ書6:4-10)概要から~
応答讃美歌 新生660「力と光と恵みの神」
ある時イザヤは神殿で神の臨在と思える不思議な体験をします。彼は「災いだ。・・・わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た」(同6:5)と震え慄きます。罪ある者が神を見たなら死ぬ、と言われていたからです。しかし、イザヤは「あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」(同6:7)との一方的宣言に与り、更に、新しい使命が与えられます。それは神の言葉を預かり語ること(=預言)です。その場合、それがどんな内容であっても、神から託された言葉を語るのです。それは「行け、この民に言うがよい。良く聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな。・・・この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、悔い改めて癒されることのないために」(同6:9-10)。との内容で、これが神の御心なのか、と驚き怪しむ難解な言葉です。それでも神の召しであるならそのままを伝える、これが預言者の務めでした。そしてこの預言が歴史の中に明らかにされたのは700年も後のこと、福音が異邦人世界に届けられる根拠として、新約聖書に繰返し登場することになったのです。 牧師 金子 敬
7/8 宣教「真中で給仕してくださるイエス」 聖書:ルカ22:24-27 (原田仰神学生)