信仰によって

表題「信仰によって」

~宣教「信仰によって」(ヘブライ11:1~12)概要から~

今日は、ヘブライ人への手紙11:1~12から、「信仰(ピスティス)」について考えてみましょう。11章冒頭に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」とあります。「望んでいる事柄」は受身形で、「(神から)望まれているもの」の意です。「確信し(ヒュポスタシス)」は「下に立つもの(=understanding)」を意味し、「信仰」が人間の主観的な感性によるのではなく、その基にある神の約束に根拠づけられていることを表わしています。ですから、「私たちの」“信仰”と言うよりも、土台となっている「神の」“真実(ピスティス)”にこそ保証があると言えましょう。従って、ここに登場する旧約の信仰者(アベル、エノク、ノア、アブラハム)は、いずれも優れた人物ではありますが、完璧な人ではないのです。ただ、彼らはその信仰の土台を神の言葉への信頼に据えていたのです。この世に完璧な人は存在しません。私たちが、もし、神の確かさに土台を置いている信仰者であるならば彼らの仲間に入れていただけます。肩の力を抜いて神に信頼を寄せ、「信仰によって」歩んで参りましょう。

4月29日 宣教「神の子となる資格」 ヨハネ福音書1:6~13 宣教者:福井正躬協力牧師