信仰の充満と欠乏の違い

2/26:受難節第一主日礼拝「信仰の充満と欠乏の違い」 (サムエル記上 17:28~40)

眞柄光久牧師

応答賛美 新生579「立てよ つわもの」

 

・大相撲が大好きなので、この時ばかりは、テレビを見ます。特に小さい力士が、大きな力士を負かす相撲には興奮します。

・小さい方はありとあらゆる手で、大きい方を倒そうとします。大きい方は、大きい方で、その手にのるかと、小さい方を吹っ飛ばそうとします。

・少年ダビデは、自分の背より数倍もあろうかと思えるペリシテ人の戦士ゴリアトに向かって行きます。

・ゴリアトは背丈6アンマ半、1アンマは45cmですから、約3メートル。向かうダビデは少年で、せいぜい背の丈1メートル前後。それに、ゴリアトは青銅の兜、身には5千シェケルの鎧(約60キロ)をつけ、足には青銅のすねあて、肩に穂先だけで600シェケル(7キロ)ある丸太のような棒のついた槍を背負っている。

・ダビデはというと、羊を飼う時に使う杖と、5つの小石と、それらを飛ばすパチンコのようなものだけ。

・誰が見ても、ゴリアトの圧勝に見える対戦。

・しかし、そこには大きな違いがあるのです。信仰があるかないかの大きな違い。ダビデには霊が下り、神がついておられました。ゴリアトには真の神はついておらず、頼りとするものは、ペリシテの神と、自らの力と、武具と、尊大さだけです。

・そのようなゴリアトに恐れをなして、少年ダビデ以外のユダヤの兵士は向かって行こうともしません。アブラハム・イサク・ヤコブの神がついているにもかかわらずです。霊が下り信仰で燃えているダビデと偶像崇拝のゴリアトとの戦い、どちらに軍配は上がるのでしょうか。

眞柄光久牧師

3/5:受難節第二主日礼拝「滅びに向かっていくサウル」 (サムエル記上 19:8~17)

眞柄 光久 牧師