安息日の主

11.21:  宣教「安息日の主」

(マルコ2:23~3:6)眞柄光久牧師
概要から
応答賛美 新生292「安かれわが心よ」

・先週は大牟田バプテスト教会から浦 肇先生が来られて、「福音とはなにか」という題で、特別伝道の宣教をしてくださいました。「神は愛である」ということを、あらためて心に刻むことができました。

・先生の宣教の後半になると九州弁がどんどん出てきて、その心地よい響きに、ああ、自分も先生のように九州弁が話せたらなあとつくづく思いました。

・イエス様もお話をされるときはガリラヤ弁だったのだろうかなと、タイムマシーンがないことを残念に思いました。

・ガリラヤ弁で語られるイエス様の言葉は集まった人々にはなじみがあり、親近感がわき、心地よいものだったろうと思います。

・でも、エルサレムから来た律法学者たちの心には響かないのです。安息日破りをするように見えたイエス様の揚げ足取りのことしか考えていないから、イエス様に付き従っていながら、何一つわかろうとしないし、受け入れることもできない。神の愛のこころが、一かけらでもあったら、イエス様がメシアであり、神の人であることがわかるのに。

・あなたがたはマラキ書で終わった旧約とキリストが現れるまでの新約の間の400年近く、メシアの出現を待って、必死で、ユダヤ教を守ったのではないか。イエスにののしられる律法学者たちを見て、かわいそうに思わないでもない。

眞柄光久牧師

 

11/28:「イエスの従う者」(マルコ3:7~19)    眞柄光久 牧師