4/21 宣教「復活~すがりつかず、行け~」(ヨハネ20:11-18)概要から
応答賛美 新生241「この日主イエスは復活された」
ハレルヤ!主イエスは復活されました。使徒パウロは「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(Ⅰコリント15:14)と断言しますが、私たちはこの証言を「アーメン(真実)」として受けられるでしょうか。科学で立証できない(再現性のない)復活をどう受け入れたら良いのか戸惑うばかりかもしれません。ヨハネ福音書はイエスの墓の傍らで泣くマグダラのマリアにイエスが復活されてご自身を現わしたと証言します。しかし彼女はそれがイエスだとは気づきません。主イエスが「マリア」と呼びかけ、彼女は振り向き「ラボニ(先生)」と応じます。ここで初めて彼女はイエスに気づくのです。涙と喜びが一つになるマリアに対してイエスは「すがりつくのはよしなさい。(中略)行って、こう言いなさい」(ヨハネ20:17)と語り、新しい使命に押し出すのです。復活が本当に起きたことなのかと戸惑うマリアを、そのまま復活の証人として立たせ、不確かな信仰体験を歴史の真実へと引き上げられたのです。復活は、その告白者、証言者となる行動の中で確認し得る信仰の出来事と言えるのです。 牧師 金子 敬
4/28 礼拝宣教「信じる者になりなさい」 聖書:ヨハネ20:24-29 金子敬牧師