最も小さい者の一人に

11/11宣教「最も小さい者の一人に」(マタイ25:31-46)概要から~

応答賛美 新生335「小さき者のひとりに」

キリストは最後の審判への基準を明快に語られています。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。」(マタイ25:31-33)何と厳かにして明確な内容ではないでしょうか。すべての人は右と左に分けられるのです。そしてその内容は、「この最も小さな者の一人にした」と「しなかった」の違いだけです。この一点において最終審判があるのです。人間が問われることはその人の知識でも財産でもありません。教会への献金の多少でさえないのです。今、私たちと共にいる人々の中の最も小さい者の一人が、「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(同25:35-36)か否か、にかかっているのです。何故なら、その最も小さな者の一人こそキリストご自身だからです。最後の審判において、教理や教派の相違などは不問です。ただ一つ、弱者に対する責任が問われるのです。 金子 敬

11/11 宣教「神の畑を見なさい」 聖書 ヨハネ4:31-38  金子敬牧師