神のさばき

08.07:  宣教「神のさばき」(創世記3:14~24)

眞柄光久牧師
概要から

応答賛美 新生124「この世はみな」

・人はだれでも、「自分はなぜ生まれてきたのだろうか」とか、「人生とはいったいな んだろうか」とか、「死んだ後、人はどうなるのだろうか」とか、一度は考えたことがあると思います。

・聖書は答えの書と言われています。

・「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」そう思って、いままで様々な問いに対して、答えを求めてきました。

・でも、答えは一向に与えられそうもなく、むしろ、疑問ばかり増えていくような気がします。

・創世記の1章1節には「初めに、神は天地を創造された」とあります。なぜと思います。なんのためにとも思います。試験問題に対するような答えはありません。

・神さまはこう言われます。「ひとりひとりに私の霊をあげたのだから。しかも、あなたがたの古びた霊、魂、体は、私の愛する一人息子の死によって、新しくされたのだから、それらを使い、祈り、考え、伝え、動きなさい。」

・なんとまあ、冷たい神さま。答えを教えて下さってもいいんじゃないのとちょっと反発したくなります。暑い日が続いているので、神さまはわざと冷たくしてくださっているのかとも思いますが、要は、「答えは自分で見つけなさい。見つからなかったら、私のもとに来た時に教えてあげよう。それまで、聖く、正しく、善を行い、愛をもって生きなさい。」それが答えだといいたいのでしょう、神様! 答えのようでもあるし、そうでもないような・・・・・。

眞柄光久牧師 

 

8/14:主日礼拝「天にある永遠の住まい」(Ⅱコリント5:1~10) 

福井正躬協力牧師