11/10 宣教「おりておいで」(ルカ19:1-10)概要から
応答賛美 新生431「いつくしみ深き」
かつて哲学者ゼーレン・キルケゴールは「人は誰でも自分の中に、理想の自分と現実の自分がいて、この双方の自分がどこかで折り合いを取りながら私たちは生きている」と語りました。よく分かります。例えば、「痩せないとまずい」のに「よし、明日から頑張ろう!」と言い訳してお饅頭に手が伸びること。これが折り合いのつく状態です。でも、この理想と現実の間で折り合いがつかなくなると、人は「私は何てダメなんだ」と現実の自分を責めてしまう。誰もが神さまからも人からも愛されて誕生したのに、自分で自分を追い詰めてしまうのです。それは、現代社会も全く同じです。
今朝の物語の登場人物ザアカイもそうでした。ザアカイの名の意味は「正しい、まっすぐな」です。きっと彼の親は「神さまと人に愛されて、正しくまっすぐに育ってほしい」と願ったのでしょう。しかし、いつからか、ザアカイは街の嫌われ者になり、彼も意固地になっていました。イエスさまはそんなザアカイの住む街にやってくるのです。
久留米教会牧師 踊 真一郎
11/17 主日礼拝 宣教「教会の使命」(使徒1:6-11) 金子 敬 牧師