7/20:三位一体後第五主日宣教「大切なのは折れない心」
エゼキエル書2:1~10 眞柄光久 牧師
応答賛美507番「主の手に委ねて」
・心の折れる経験をしたことがないという人生を送ってこられた人は、一人もいないのではないかと思います。大なり小なり、人生には、心の折れるこというものはつき物で、自分自身の人生を振り返ってみても、数々の心の折れたことを経験しています。
・そういう時、助け、励まし、立ち直らせてくれたのは、友達でした。
・しかし、今日の個所で出てくるエゼキエルという預言者は、たった一人で、神が反逆の民であると言われイスラエルの民に、託された預言を述べなければならないのです。心の折れる神からの命令です。
・しかも、この時のエゼキエルは、神殿のあったエルサレムから遠く離れたバビロンのケバル川(運河)の河畔に捕囚として住まわされていたのです。
・神からイスラエルの民に伝えるようにと与えられた預言の書かれた巻物には、表にも裏にも文字がびっしりと記されていて、それも、哀歌とうめきと嘆きの言葉でした。
・イエスが父なる神からこの世に遣わされたのも、十字架にかけられ、苦しみぬいて死んでいくためでした。それによって、私たちに救いがもたらされ、永遠の国への道が開かれたのです。
・心が折れたように思えても、神が共にいてくださり、必ず立ち直らせてくださるのです。
眞柄 光久 牧師
7/27:三位一体後第六主日宣教「誤った信念が招く悲劇」
エゼキエル書7:14~27 眞柄光久 牧師