危機の時の信仰

8/4:三位一体後第十主日「危機の時の信仰」

列王記下19:1~13      眞柄光久 牧師

応答讃美歌:476番「ゆるされて」

・みことばと祈りを通して神と親密な関係をいつも保っているなら、危機が突然襲ってきても、信仰の歩みから外れることはありません。そのような人にとって危機は逆に神の御手を経験し、さらに信仰が成長する機会となります。

・ヒゼキヤはラブ・シャケの嘲弄を聞いたとき、それに抗弁したり言い返したりせず、神の前に出ました。彼は神への祈りによって問題を解決しようとしたのです。問題解決の鍵は神が握っておられるからです。

・ヒゼキヤは、神がラブ・シャケの語ったことばと暴虐をみな聞かれたことを信じていたので、神に彼をさばいてくださるように祈り求めました(4節)

・神は人のことばをみな聞かれ、その通りにその人に報いられます。ラブ・シャケが高ぶって言ったことばは、彼の頭上に戻ってきます。敵対する人に対応する最善の方法は、神に委ねることです。

・ヒゼキヤは、側近の者たちをイザヤのところに遣わし、イザヤに祈りを頼みました。聖徒にとって最も強力な武器は祈りです。聖徒は祈りの力を信じ、祈りは必ず聞かれるとの信仰を握りしめていなければなりません。

・イザヤはヒゼキヤの家来たちに「恐れるな」と言い、神がアッシリアの王を引き揚げさせられると預言しました。また、アッシリアの王は剣によって倒れるとも告げました。

・どんな強大な国の王でも、神の前では無力です。

・神は人の計り知れない驚くべき方法で働かれます。

・世のすべての神々はむなしい偶像に過ぎず、アッシリア軍は神に打ち勝つことはできないのです。アッシリア軍は退去し、ヒゼキヤの祈りは聞かれたのです。 

眞柄光久牧師

8/11:三位一体後第十一主日「神が用いられる人」

列王記下22:1~11      眞柄光久 牧師