一つの体、異なる部分

~5/27宣教「一つの体、異なる部分」(Ⅰコリント12:12~27)概要から~
応答讃美歌  新生363「キリスト 教会の主よ」

 前回(5/20)は個々人に分与されている賜物はそれぞれの務め(奉仕)となって現れ、互いに結合して教会の働きとなることを強調しましたが、今回は更に教会とこれに連なる個々人との関係を身体に譬えて記します。即ち、「だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(Ⅰコリント12:20-22)とあるように、すべての人が他者のために存在し合っていると言うのです。教会における一人一人はこの関係性の中にあります。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」(同12:27)とある「また、一人一人はその部分です」を、青野太潮氏は「そして、(その)部分としての肢体である」(岩波訳聖書)と訳出します。一人一人がその「部分」としての役割に徹する時に教会全体が円滑に成長するのです。私たちは「客人」としてではなく、「主催者」として教会形成に繋がり、その責任を果たしているのです。  牧師 金子 敬

6月3日予定 宣教「三千人が仲間に」 聖書:使徒2:36~42